研究の背景
精神科医療における危機場面では、時間的な制約やコミュニケーションの困難さから、本人の希望や治療に関する選択が支援の過程で十分に反映されないことがあります。これに対し、英国などでは、危機に備えて本人の希望や選択を記録する取り組みとして、Joint Crisis Plans(JCPs)やAdvance Choice Documents(ACDs)が進められてきました。これまでの研究では、これらのクライシス・プランの効果について一貫した結果が得られていない面もありましたが、本論文では、その理由を文書が実際に参照され、支援に活用されるための仕組みが十分に整備されていなかった可能性に着目しています。
また、日本の精神保健医療制度の現状を踏まえ、ACDsを固定的な書式として導入するのではなく、地域や医療機関のネットワークの中で機能するかを検証する実装モデルとして試行する必要性も論じられています。
本論文の主なポイント
1. クライシス・プランを「実装インフラ」として再整理
危機時における本人の希望や選択を支えるためには、書面を作成するだけでなく、作成支援、共有、アクセス、活用、見直しまでを含む仕組みとして整備する必要があると提案されています。先行研究で効果に一貫性が見られない理由についても、「ツールが有効ではない」と単純に解釈するのではなく、危機時に実際に活用されるための条件が十分に検証されていなかった可能性が指摘されました。

2. 危機時の本人意思を支える実装要件を提示
危機時における本人の意思を支えるために必要な要素として、以下の4つの実装要件が整理されました。
-
作成を支えるファシリテーション
-
現場で活用できる具体性
-
例外時の透明性・説明責任
-
日常の支援体制に組み込まれたアクセス可能性
3. 日本の精神保健医療の課題を国際的な議論へ発信
本論文は、英国を中心に発展してきたJCPsやACDsの議論を踏まえつつ、日本の精神保健医療制度の課題を国際的な実装課題として位置づけています。日本の現場から見える課題を、海外の議論を受け取るだけでなく、国際的な精神保健医療の議論へ発信した点に意義があるとされています。
研究者からのコメント
野村照幸教授は、本論文が日本の精神科臨床や司法精神医療、地域精神保健の現場で考えられてきた課題と、英国で進められてきたJoint Crisis PlansやAdvance Choice Documentsに関する国際的な議論とを結びつける試みであると述べています。精神科医療における危機場面では、安全確保が重視される一方で、本人が大切にしている希望や選択、権利や尊厳が十分に尊重されにくくなることがあるため、危機が起きてから対応するだけでなく、平時から本人の希望を確認し、それをチームや地域の支援体制の中で実際に使える形にしておくことの重要性を強調しています。
また、英国の国際誌に日本の精神保健医療の課題を踏まえた論考を掲載できたことは、海外の知見を日本に紹介するだけでなく、日本の現場から見える問いを国際的な議論に返す機会になったと感じているとのことです。今後は、日本の地域精神保健医療の中で、危機時の本人意思を支える仕組みをどのように実装し、評価していけるかについて、研究と実践の両面から取り組んでいく意向が示されています。
原論文情報
-
論文名: Preference-based crisis care is an infrastructure problem: lessons from joint crisis plans and advance choice documents for Japan
-
著者: Teruyuki Nomura、 Shunsuke Kanou
-
掲載誌: BJPsych Open(Royal College of Psychiatristsの国際学術誌、Cambridge University Pressから刊行)
-
出版社: Cambridge University Press
-
掲載日: 2026年7月24日
-
論文種別: Commentary(論考)
-
Open Access: Creative Commons Attribution Licence(CC BY 4.0)
新潟医療福祉大学について
新潟医療福祉大学は、看護・医療・リハビリ・栄養・スポーツ・福祉・医療ITを学ぶ6学部16学科を有する医療系総合大学です。医療現場で求められる「チーム医療」の実践的な学びを提供し、高い国家試験合格率や就職実績を実現しています。また、「スポーツ」と「医療」「リハビリ」「栄養」などを融合した学びも展開しています。
- 詳細については、新潟医療福祉大学のウェブサイトをご覧ください。
https://www.nuhw.ac.jp/
本研究は、精神科医療における危機時の意思決定支援のあり方について重要な示唆を与えるものです。ご自身の状況についてご不明な点がある場合は、医療機関や専門家にご相談ください。